オリンピックの開会式は現地時間で午後9時開幕と少し遅めです。緯度が北海道より高いロンドンでは、今は日の入りがちょうど9時なんです。これより早いと聖火のTV写りがよくなかったのでしょうか。サマータイムのロンドンとの時差は8時間。現地では午後9時の開幕なので、日本では午前5時からTV中継スタート。3時間余りのプログラム、出勤までに最後のポールマッカートニーの歌まで見れるかどうか。
前回に引き続き開会式の題名は「驚きの島々」。予行演習中のスタジアム周囲は開会を告げる鐘の音や映画「炎のランナー」のテーマ曲が大音量で響いてるそうです。
さて、前回の続きで、今回はオレンジ色のキャラクターくんのことを紹介します。名前はウェンロック。それは19世紀に始まったある村の「運動会」に由来します。
ゆるやかな丘陵地がどこまでも広がる英国中西部。英国の本当の魅力はカントリーにありとよく言われますが、石炭が採れなかったこの地域は鉄道による産業化から取り残されました。ロンドンから列車で2時間強、さらにバスで20分ほど行った田園地帯にある村マッチ・ウェンロック(Much Wenlock)もそんな昔からの伝統的な田舎暮らしが今に息づく村のひとつです。
1850年、外科医で地域の治安判事なども務めたこの村の名士、ウィリアム・ペニー・ブルックスは、村の競技会を提唱しました。村の活性化には不健康な生活をしている労働者階級の暮らしの改善が欠かせないと考えたからです。彼は大会創設の理念を次のように語りました。
「毎年競技会を行い、優秀者を表彰することで村民の道徳、健康、知性の向上を目指そう」
当時は編み物、計算、作文、絵画といった文化競技や、石投げや豚追い、高齢女性の紅茶運び、手押し車を目隠しで運ぶレースなど楽しむことに主眼を置いた種目もあって人気を博し、同様の大会が英国各地に広がっていきました。
やがて競技会は五種競技も加わり「ウェンロック・オリンピアンゲームズ」と呼ばれるようになりました。
1890年、村を視察に訪れたフランス人、ピエール・ド・クーベルタン男爵は、ブルックス氏の活動に深い感銘を受けます。これがきっかけとなり、その後彼はIOCを創立、1896年のギリシャ・アテネでの第1回近代五輪開催へと結びつきました。
クーベルタン男爵は「近代五輪の父」と呼ばれますが、オリンピック復活の原型は羊が草を食むのどかな田園風景が広がるイギリスの片田舎の「運動会」でした。
オレンジ色のキャラクターの名前”ウェンロック”はこの発祥の地の名前からとられています。
「ウェンロック・オリンピアンゲームズ」は今年で第126回を迎え、人口僅か2600人の小さな村の大会ですが、参加者がその後、オリンピック選手になったこともあるそうです。今月8日の開会式から22日に閉幕するまでの約2週間、子供から高齢者まで約2200人が参加し、地域の交流の場になっています。参加者は次のように語っています。
「毎年、『オリンピック』が開かれて、他の町の人とも仲良くなれるのよ」
「年齢に関係なく、何かに挑戦できる。こんな老人でも、まだ『オリンピック』に出られるんだ」
今、村の教会の壁には、ブルックスを称えこう刻まれています。
「彼の献身とビジョンが五輪の復活をもたらし、彼の想像力と世界規模のひらめきが2012年の五輪になった」
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