こちらは実のりデイサービスセンター代表が思いつくままに綴った徒然なるページです。どうぞゆるやかにお付き合いください!
弥生と書いてやよい。日本独自の暦の呼び方があるのは、豊かに四季が移り変わる日本の風土故でしょう。旧暦にある24節季に代表されるように農耕民族でもある日本人は古来季節の移り変わりを敏感に感じ取り大切にして来ました。現代においてもその感性は大切に守られていくべきものと思います。まだまだ空気は冷たいですが暖かな陽射しが春の訪れの近いのを予感させる今日この頃です。
本日は緑文化小劇場にて 「若年性認知症本人の思い・家族の思い」と題して越智須美子さんの講演会を拝聴する機会に恵まれました。
ご主人の越智俊二さんは若年性認知症を発症されましたが、2004年京都で開かれた国際アルツハイマー病協会国際会議で、当時まだ病気のことが世間にあまり理解されてない中、患者ご本人の口から患者の気持ちを「公表」され大変な反響を呼びました。
残念ながら2009年に永眠されましたが、 それまでの間の須美子さんの献身的な介護の様子は、渡辺兼と樋口可南子が演じた若年性認知症をテーマにした映画「明日の記憶」の参考モデルともなりました。
発症したのが40代だった俊二さんは 会社や仕事先への道順がわからなくなり仕事を辞めることになりました。お子さんが2人おられ俊二さんに代わり須美子さんがヘルパーをはじめて家計を支えることになりました。やが て俊二さんは身の回りのことにも不自由するようになり、特養やグループホームを利用しながら懸命に介護を続けて来られました。BPSDも顕著になると、走行中の車のフロントガラスを蹴って割ってしまうこともあったそうで、主人のことを初めて怖いと思ったと語られていました。
当時のTV取材のビデオ上映がありましたが、「私の名前は?」と尋ねる須美子さんに対し俊二さんが「わからない」と言われた時「とうとう私のことも忘れられてしもうた~」と笑顔でご主人のことを見つめられていた明るさが印象的でした。
医師からアルツハイマーの告知を受けた際、須美子さんは俊二さんにまで告知しなくてもよかったのではないかと看護師に問うたそうです。その時の看護師の「いいじゃない、どうせ忘れてしまうのだから」との返事に、心から憤りを覚えたと語られていました。認知症の方も一人の人として尊厳を守って接してほしい、介護者のみなさんにはぜひこれをお願いしますと語られていました。
介護家族のケアの必要性も訴えられ、須美子さんの場合は同じ若年性認知症の家族会などで話を聞いてもらい励まされたそうです。他にも65歳になるまでの間、積み上げていた厚生年金が使えなかったこと、 負担額差額支給制度など適切に教えてもらえなかったことなど行政の対応にも苦言を呈しておられました。
講演終了後には、聴講者のみなさんが須美子さんの直筆サイン入り著書「あなたが認知症になったから。あなたが認知症にならなかったら。」 や越智さんが描かれた絵葉書をたくさん買って帰って行かれました。著書の最終章は次のように記されています。「夫が認知症になって、家族がひとつになって向き合えた。失ったものがありました。得られたものもありました。夫が認知症にならなかったら、今より幸せだったかもしれません。けれど、その幸せというものに気づかなかったかもしれません。」
越智さんご夫妻が、次のサイトでご紹介されています。
【ゆうゆうLife】向き合って 認知症の夫との人生
越智さんの妻が上田で講演
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Renita Zenz (金曜日, 03 2月 2017 03:40)
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